▲ゴールデンセレブレーション

 

五月の涙

五月にこんなに雨が降るなんて・・・
きっと、天空の何処かで
悲しいことが沢山あったのでしょうか・・・

五月の涙は、地上の私の薔薇たちにも届いています
必死で受け止めています

この悲しみを、少しでも芳しい香りに変えようと
健気に受け止めています

明日・・・元気になれますようにと・・・


▲ヘリテッジ


5月17日(水)小雨。

久しぶりに都会へ出かけた。ずっと自宅と病院との往復が続いていたので、少し気分転換がしたかった。
しかし、まだ、瞼の腫れも残り、左右の見え方がバランスを崩しているので、人混みは少々心配ではあったのだが・・・。
向かった先は“東京美術倶楽部”今は亡き『橘天敬画伯』の個展へ。

実は、遠い昔、画伯との出逢いがあった。(私の記憶は殆んど薄れているのだが・・・)まだお元気だった頃、私にお心をかけて戴き、その当時、まだ幼かったお嬢様を「どうしても、私の学んでいる同じ児童劇団へ入団させたい」と強く思われたとか・・・。後にそのことを両親から聞かされた。画伯の直筆入りの絵も頂戴しているとか・・・。
今回、<生誕100年記念>と言うことで、その幼かったお嬢様が画伯の屏風絵を海外のミュージアムから日本へお里帰りさせて個展の運びになったと言う。
オープニングには失礼したが、最終日には何とか、伺えるようにと頑張ってみた。

御成門から、少し歩いた所に「東京美術倶楽部」はあった。午後から小雨模様になり、久しぶりにパンプスなど履いて出かけたので、歩道を小走りに駆け出すのは辛いものがあった。“おう、わたしの体は鈍っておる! いかん、いかん”
4階に着くと、広い空間に目を見張るような壮大な屏風絵が飾られていた。もう、何十年もお逢いしていないお嬢さんと対面。(その昔、劇団で数回顔を合わせてはいたのだが・・可愛らしい少女であった、お互いに)あの頃と少しも変わっていない、懐かしい笑顔が私の眼に飛び込んできた。しかしこんな瞬間“時”が過ぎ去ったことを思い知らされる。
40代になった彼女が、大変な思いで、里帰りさせたという、父上の屏風絵。ゆっくりとその世界に浸った。

『芸は神なり、術は人なり。 人々は語りあいながら、人と自分とを区別する。人々は径から道へと拓いて、風景と自分とを同化する。人々は陽春の柔らかな輝きの下に、緑草を見つける。広大な無限な宇宙の偉大さを、新芽にみい出す。芸術とは何だろう・・・・』
『わたしは芸術の文字を“芸”と“術”に解体して考えてみると、芸とは神、すなわち大自然そのものではないか。また術とは“すべ”すなわち人間の技である。術が神を相手に同化すれば、宗教的なあの澄んだ魂の再現となって結晶する』

数点の屏風絵を拝見し終わって、この画伯のお言葉を眼にしたとき・・・すとんと、体の力が抜け落ちたようだった。
エネルギーの塊・・の中から優しさと、美しさが溢れている。
年表によると、72歳で得度をされておられることを知った。

すべてが「魂」に還り、そこから何かが生まれいずる事・・・
わたしも、ある時期からそう信じてきた。
コツコツと歩み続ける“芸”の“技”の道の何たるかを・・・どんな仕事も、すべてがそこに有るのだと・・・再確認し、この画伯との不思議な再会に感謝した。

御成門を後にして、その後“目白”へ向かった。
わたしの大好きな“PJC”大西和子ブランドの本店が目白にある事を知り、訪ねたかった。
目白には、お世話になっている薬局があり、娘の出た大学もあり・・と懐かしい駅だ。
地図を頼りに、5分ほど歩き、アトリエ件ショップに着いた。想像していた通りの、優しい木のぬくもりのある店内。
初めてなのに大西さんご本人にお目にかかれて、感激!
柿渋で染めたと言うソックスがお目当てだったので、それを求め、ついでに隣にあった備長炭染めのものも追加して・・・更に強くなった小雨の中、目白駅へ駆け戻り山手線に乗り込んだ。

『今日は、仕事?』午前中のDrとの診察の際、わたしが珍しく“よそ行き”の格好をしているので、ホッとしたように、そんな言葉が飛んできた。
『わたし駄目・・かも・・』長引く治療に、最近は少々泣き言を言い出している私を心配しているDr.である。

少しづつ、“よそ行き”して、頑張っていますよ、Dr.!大丈夫!

2006年5月20日 Terumi Niki

 

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