“白露”などと言う言葉を耳にして、<あぁ・・9月になってしまったのだな・・>と改めて思った。
更新を気にしながらも・・私の心のカレンダーは何時までも8月を外せないままである。
8月5日一本の電話が私の元に掛かってきた。
私の学び舎であった『劇団若草』の代表が急死したとの知らせであった。何度も何度も確認しても・・その事実は変わらなかった。
4歳にも満たない私は、何とか戦後の落ち着きを取り戻した昭和28年この若草との縁を頂いた。そして成人するまでの20数年間・・・役者以前の”人間学”をこの若草で学ばせて頂いて来た。創立者の深山容子、その夫であった上山雅輔(金子みすヾの実弟)はすでに他界している。娘である彼女は両親の亡き後歴史あるこの児童劇団を一人で支え続けてきた。<子役>が今のように湧いて出てくる時代ではなかった。そんな中で、与えられた役をきちんと受け止められるレベルの高い子供達を養成して劇場の舞台へと送り出してきた。その数5000人。
私はその初めだったのかもしれない。
私が劇団を巣立ってからも、公私共に悩みを彼女に相談してきた。生活の悩み、仕事の悩み、エッセイを出版する時も、ゲラ原稿を一番初めに読んでいただいたのは彼女であった。75歳・・まだまだ元気でいて欲しかった。例え、病床にあっても、生きていて欲しかった。
私が何かを決断する時の最後のチェックポイントの人であった。高校を卒業する時、<私にはもう、担任の先生は居ないのだな・・>ふと、そんな心細さを感じたものだった。
今、その時と同じような、駆け込む場所を失った物寂しさを抱えて、現実を受け入れることが出来ない。どんなに忙しくても、私の出演した作品は見てくれていた。どんなに小さな会場にでも足を運んで下さった。そして、『頑張ったじゃない!・良かったわ!』凛とした綺麗な声で、いつも励ましてくれた。私は彼女の感想を聞くのが嬉しかった。上手く行かなかった時も、頑張れた時も、<あぁ、先生が見ていて下さった>それだけで、次に進めた。
数年で若草は60周年を迎える。せめて、その時まで、お元気で居て欲しかったと・・悔やまれる。

8月の末・・空っぽの心を何処かへ持ち出したかった。観光地ではない何処かへ〜。友人である仏画家<牧宥恵>氏の居る和歌山が浮かんだ。
以前から一度訪ねたかった思いが・・・あっという間に叶ってしまった。節約のつもりで、行きは横浜から深夜バスに乗り込んだが・・・地獄であった。(帰りは飛行機にした・身の程知らず・コレも学びの一つになった)宥恵氏は出家もしているお人で・・『高野山へ行こう!』と案内をしてくれた。
<高野山・奥の院>私にとって救いの場所を与えて頂いた。
牧氏のアトリエで、数日を過ごさせていただき、彼の奥様の入れてくださる朝のコーヒーと自然に囲まれて、私は少しだけ息を吹き返すことが出来た。
弘法大師は・・しっかりエネルギーを下さったようだ。

9月4日中野サンプラザにて、劇団葬が執り行われた。600人近い方々に見守られて、無事セレモニーを終えることが出来た。総司会の大役も何とかこなせたと、自負している。<先生の為に最高の会にしたかったから!及第点下さるよね?>会を終えて、外に出た時、虹が見えた。なんて素敵な演出だろう〜

玄侑宗久氏の小説の中に『仏になるとは、・ほどける・と言う語源から来ているのだ。ほどけて、ほどけて、小さな単位になって・・・もう、物質ではなくなった時、純粋な光になる・』こんなことが書かれていた。素敵なことだな・・と思った。

先生も、きっと<純粋な光>になってあまねく、私たちに光を与えて下さるのだろう。そう信じている。そしていつでも、何処かで見ていてください!
会場に飾られていた百合のお花を頂いてきた。先生のお写真と共に私の部屋はその香りに包まれている。
上山七重先生・お疲れ様でした。
ありがとうございました。私、もう少し頑張って見ます。感想を送り届けて下さいね!お願いします。


蓮の花(by YuukeiMaki)


2006.9.7(下関にて・納骨が執り行われた)Terumi Niki

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