まるで冬のような気温だった。4月だと言うのに・・・。
雨足も激しくなった午後6時、私は御茶ノ水・ニコライ聖堂へ向かっていた。
二人の子供達が通っていた小学校のその当時の校長先生とのお別れに・・・77歳だった。
ギリシャ正教の儀式の中で執り行われた通夜である。
ニコライ聖堂の入り口で1本の蝋燭を手渡された。流れ出る蝋を受け止める為の白い丸い紙片が添えられていた。
司祭の、低いが良く通る祈りの声と聖歌隊の奏でる賛美歌が始まり、それらが聖堂の丸い天井に吸い込まれていくと、まるで別世界に連れて行かれたような錯覚に陥った。参列者達は其々の場所に立ったまま、前の方から周りへ後ろへと次々に蝋燭の火を灯し繋げて行く。まるで悲しみの心を手渡すように。
灯されて行く蝋燭の明かりで、聖堂内は少し暖かくなったようだ。言葉とも暗号とも付かぬ響きが続く中で、私はふと、子供達の小学生だった頃の姿を追いかけていた。
子供達をこよなく愛してくださった校長先生だった。切り絵がお上手で、子供達のリクエストにいくらでも応じてくださった。キリン・お猿・車・飛行機・花・・・。校長室はいつでも賑やかなプレイルームだった。頂いた作品を大事そうに持ち帰ってきた子供達の顔が昨日の事のように思い出される。
教師として初めて赴任した時のお話を伺ったことがある。若かった先生は、てっきり女学校だとばかり思って意気揚々と都心から1時間以上もかかって、たどり着く。しかし、なんと男子校で、がっかりしたと言うのである・・・。また学校近くの小さなパン屋さんに“東京のパン有ります”の張り紙を見て、なんて僕は遠くへ来てしまったのだろうと、改めて悲しくなった・・・等、戦後の大変だった頃の新米先生の体験や失敗談など、ユーモアを交えて私たち父母にお話くださったのだ。
そして子供達には常に、<失敗する事を恐れてはいけない>・・・と優しく語って下さっていた。
子供達が卒業後、先生は別の学校に移られて、再び校長として勤められたと伺っていた。
私も、数回お手紙を頂いたり、お返事を差し上げたり・・・そんな時は決して肩書きは無いのである。自由人として様々な事を語ってくださった内容だった。
背のすらりとした、何処かに少年を思わせるようなやんちゃなお姿は、私たち父母達をいつもホッとさせて下さった。

棺の中の先生は・・・小さくなって居られた。
小学校を後にした少年達は今すっかり社会人になっている。半ズボンで駆け回っていた彼らが、黒のスーツに身を包み参列者の中に立つ姿を目の当たりにしていると何か不思議な気がする。時は流れたのだ。でも彼らの心の中には色あせない素敵な1ページが刻み込まれているに違いない! 思いもかけず、懐かしい先生方のお姿にもお目にかかれたこと・・・悲しみと共に過ぎし日の大切な時間に戻れた事は、4月と言う「はじまり」の時に、何か意味のあることなのかもしれない・・・。益々激しく叩きつける冷たい雨の中を駅に戻りながら、改めて先生と巡り合えた事に心から感謝した。
先生ありがとうございました。どうぞ安らかに・・子供達は頑張っています。見守っていてください。

2007年4月19日 Terumi Niki

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